感動を求めて、忙しすぎる「ひまつぶし」に追われている団塊世代の男の記録。
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カテゴリ:歴史散歩 堺( 10 )

堺市茶室「黄梅庵」大仙公園

 10月29日(土)大仙公園にある茶室の「黄梅庵」を訪れた。秋季堺文化財特別公開期間中であり、10月28日~11月6日まで神社仏閣での特別公開や刃物製作所での見学ができるようになっている。大仙公園やすぐそばの仁徳陵には観光客が多かったが、こんなに多くの人をみるのは花見の時期以外にはめったにない。百舌鳥古墳を世界遺産に登録しようという動きが、観光客を誘っているのかもしれない。

 大仙公園には有形文化財の茶室が2棟ある。「伸庵」は年中公開されており、立礼席で抹茶を楽しむことができる。「黄梅庵」はいつもは非公開で年に2回特別公開期間中しかみることができない。それも期間限定で、今回は2日間だけである。知らずに来た人はラッキーだったと喜んでおられた。

 「黄梅庵」はもともと奈良県今井町の今井宗久所領の茶室だった。それを電力事業で有名な松永安左エ門が昭和23年小田原に再興した。大徳寺顧問立花大亀和尚の尽力で昭和55年に移築されたものである。

 庭に入ったところに石の九重塔がある。庵は80m²あって、8畳の広間や勝手水屋がある平屋建てに三畳の茶室がつながっている。観光ボランティアの方が部屋の説明をして下さった。茶室の床には大亀和尚の水墨画がかかっていた。庵の周りには竹林があって、公園の一角にここだけが侘び寂の静かな空間となっていた。

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by nori-126 | 2011-10-30 16:53 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

百舌鳥古墳群を望む 堺市役所展望ロビー

 4月14日(木)2日前に訪れた百舌鳥古墳群を高いところから見てみようと、堺市役所高層棟最上階の21階にある展望ロビーに行った。窓がガラス張りになっていて360度の展望を望むことができる。古墳の位置を示した地図模型や堺の名所を紹介したパネル、古墳を説明する映像を映すモニターがある。

 東の方向に、反正天皇陵から、永山古墳、丸保山古墳、仁徳天皇陵、大仙公園、履中天皇陵が見える。いたすけ古墳と御廟山古墳は見えにくいが、ニサンザイ古墳はよく見える。こうして高いところからみると改めてその大きさを実感する。御陵のすぐそばに展望塔を建てるというわけにはいかないので、少し離れているが全貌を見られるのはうれしい。

 遠くの二上山、葛城山、金剛山といった山並みは、もやっていてかすかにしか見えなかった。

 展望ロビーにボランティアの人がいて、お会いしたことがありますねと声をかけられた。2日前に仁徳天皇陵の拝所で説明していただいた男性だった。南宗寺にも行くことがあると言われたので、南宗寺の再興の祖の沢庵和尚は私の生まれ故郷の出石の出身であるということを話した。

 百舌鳥古墳群が世界遺産になるにしても何年もかかるらしい。何よりも観光のためのインフラ、すなわちホテルや交通手段を整えるのが大切だと説明していただいた。

  反正天皇陵   ↓
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  仁徳天皇陵 手前左は永山古墳、右は丸保山古墳、後ろはニサンザイ古墳 ↓
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by nori-126 | 2011-04-14 22:08 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

百舌鳥古墳群めぐり 堺市堺区 後半 仁徳天皇陵~ニサンザイ古墳

 3月12日の百舌鳥古墳群めぐりの後半である。

 仁徳天皇陵の南の拝所で、ボランティアの人から説明を聞いた。もともと古墳は3層の盛り土で、崩れるのを防ぐために石組で覆われていたので、遠くからみると目立ったということである。堺の地に海に平行に百舌鳥耳原3陵が並んでいるのは、堺に入港する外国から来た人々に威厳を見せるためだったという。奈良から離れた堺に立派な古墳が造られたのはそういう理由だったのだろうか。発掘の歴史や出土品についても説明してもらった。

 すぐ南の大仙公園に行くと桜の花が満開で、宴会をする人も少しあった。日本庭園にも多くの人が訪れていた。ここから履中天皇陵に行った。10月と12月にオシドリやミコアイサを見に行って以来である。鳥の観察をしていた西側の道路脇は端から端まで桜の並木が見事だった。池にはオシドリが15羽ほど泳いでいた。鳥の観察をする人はなく、桜の写真を撮る人がいた。

 履中天皇陵を3分の2廻って、JR阪和線を越え、いたすけ古墳に行った。かって、壊されそうになって土をだすためのコンクリートの橋が作られたが、保存されることになってその橋が半分残っている。橋の上にタヌキが4頭いた。写真に撮ってアップでみると目付きがするどくてあまり可愛くなかった。

 すぐ隣の御廟山古墳をめぐった。墳丘の側面に石が敷き詰めてあるのは、古代の姿を再現したものだろうか?古い邸宅である高林住宅を過ぎて、ふとん太鼓で名高い百舌鳥八幡宮に入った。広い境内である。ここからニサンザイ古墳に行った。野鳥観察で昨年2度訪れたことがある。時間がないので古墳は廻らずに堺東まで戻った。

 ガイドの人の話を聞いた時間を除いても、2時間半くらいかかったが、百舌鳥古墳群の大きさベスト10の古墳の内、8か所をめぐることができた。いい天気で満開の桜も満喫した。

   履中天皇陵  ↓
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   履中天皇陵 桜 ↓
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   いたすけ古墳 橋にタヌキ  ↓
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   いたすけ古墳 桜  ↓
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   御廟山古墳  ↓
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   百舌鳥八幡宮  ↓ 
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by nori-126 | 2011-04-12 23:23 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

百舌鳥古墳群めぐり 堺市堺区 前半 反正天皇陵~仁徳天皇陵

 4月12日(火)午後からいい天気なので、桜の花の見学を兼ねて堺市の百舌鳥古墳群めぐりをした。百舌鳥古墳群は、かって100基を越す古墳が造られたとされ、現在47基が残っている。百舌鳥古墳群は羽曳野市や藤井寺にある古市古墳群と共に、世界遺産への登録をめざしている。平成22年6月に暫定一覧表入りが了承された。

 堺観光コンベンション協会発行のパンフ「百舌鳥古墳群めくり」には、古墳めぐりコースとして、約13kmの一日コースが載っている。主な古墳を一度に回ろうというものだが、歩くと4時間かかる。堺の地場産業である自転車に乗って廻ることにした。堺市役所前の堺東観光案内所で、240円を払って変速機付きの自転車を借りた。

百舌鳥古墳群めぐり
南海堺東駅-反正天皇陵-方違神社-永山古墳-丸保古墳-仁徳天皇陵-大仙公園-履中天皇陵-いたすけ古墳-御廟山古墳-百舌鳥八幡宮-ニサンザイ古墳-堺東

参考文献 パンフ「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に」堺市世界文化遺産推進室 発行 

 堺東駅からすぐ東に反正天皇陵がある。百舌鳥耳原天皇陵3陵の一つで、北陵と呼ばれている。拝所から古墳を眺められるが、それ以外に展望はきかない。すぐ近くに方違(ほうちがい)神社がある。三つの国境に位置するということで、方違(かたたがえ)をする由緒ある神社である。

 神社からけやき通りという街路を南下した。若葉の茂るけやきの木が歴史ある街並みの雰囲気があった。歩道に立派な枝垂れ桜が咲いていた。また、くろがねもちの巨木が道路脇にあった。永山古墳から丸保山古墳の静かな水の流れをみて、仁徳天皇陵をぐるりと回る。堀には大きな黒い鯉が浅瀬のところどころで見られた。仁徳天皇陵の南北約500mを走って南の拝所に至る。自転車で走ってもかなりの大きさであることがわかる。

  反正天皇陵  ↓
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  けやき通りのしだれ桜  ↓
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  けやき通りのくろがねもちの木 前に借りた自転車 ↓
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  丸保山古墳の堀  ↓
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  仁徳天皇陵 拝所  ↓
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  大仙公園の桜  ↓
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by nori-126 | 2011-04-12 22:03 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

ザビエル公園 堺市堺区

 4月8日(水)、桜が満開でいい天気なので、近くで桜をみようと堺駅近くのザビエル公園を訪れた。フランシスコ・ザビエルに邸宅の一部を提供した豪商日比屋了慶の屋敷跡が公園となったものである。公園の桜は満開だったが、すぐそばの内川沿いの桜は、散ってしまった木が多かった。

d0097373_049232.jpg  公園の入り口に、堺で鉄砲が作られたことを顕彰した石碑があった。

 公園の中に1本の木があって、そばに案内板があり、堺線香の紹介があった。木は「椨(たぶ)の木」といい、線香は、この木の皮を乾燥させて粉にしたものを基に、香料を調合して作る。

 堺旧港は、15世紀頃、海外からの輸入が盛んで、沈香や白檀などの香料も重要な交易品であった。線状になったお線香は、中国から伝えられて堺ではじめて製造されたということである。

 公園には、フェニックスの木が何本かあって、桜の花とのコントラストがおもしろい。内川は、堺が自由都市であった頃の環濠のあとである。桜が満開の時に、船によるクルーズに乗ってみるのもいいかもしれない。

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by nori-126 | 2009-04-09 00:55 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

堺文化財特別公開 祥雲寺~海会寺~南宗寺

d0097373_0573360.jpg 11月6日(木)午後、堺のお寺を訪ねた。昨年からはじまった秋の特別公開である。普段はみられない20ヵ所の文化財を見ることができる。
 
 今回は、私の故郷の兵庫県出石の出身である沢庵宗彭ゆかりの3つの寺を訪れた。各お寺に堺観光ボランティア協会の方がおられて、中の案内をしていただいた。

 沢庵宗彭(たくあんそうほう)は、1573年但馬出石の出身で、1607年に南宗寺の住職に、2年後には大徳寺の住職になった。さらに1638年には江戸の東海寺の開山になるなど活躍した。1645年に亡くなった。

 龍谷山祥雲寺 
 南海堺東駅の西1kmにあって、こじんまりとしたたたずまいである。祥雲寺は、徳川時代のはじめに豪商の谷正安が建立したものである。沢庵宗彭が、大阪夏の陣で焼失した海会寺を南宗寺山内に移した後に建てることにして、開山として迎えられた。

 かっては1300坪の境内に多くの建物があったが、第2次大戦の空襲ですべて焼失してしまった。建物は戦後の建築であるが、方丈(本堂)には、かっての境内を描いた絵がかけてあった。明治生まれの女流南宗画家である中村餘容による襖絵画24枚をみることができた。

 枯山水の庭は、戦後に再現されたもので、大きな石がつかわれている。蘇鉄が植えられているのは堺らしい。亀の庭というのがあり、石組が亀を形どったものという。出石の宗鏡寺(沢庵寺)にも亀の庭があるとのことである。

 海会寺(かいえじ) 
 祥雲寺から南に向かって「てくてくろーど」を1km歩くと、南宗寺があり、その境内に海会寺がある。海会寺は当初、今の開口神社の場所にあったが、祥雲寺のある地に移った。それが大阪夏の陣で焼失したのを、沢庵宗彭が、南宗寺内へ再興した。当初は、南宗寺の末寺であったが、独立して東福寺派となった。

 本堂と庫裏が同じ建物にあるのが珍しいという。天井の木組みや縁側の広さも特徴であるという説明であった。枯山水の庭には、11の石があるが、中央に大きな石があっておもしろい。中国から運んできた石という。

 南宗寺(なんしゅうじ)
 1526年に創建されたが、大阪夏の陣で壊滅したのを、沢庵宗彭が復興に尽力した。堺の茶人武野紹鴎、千利休との関わりがあり、ゆかりの遺跡が多くある。方丈に至る道の途中には、千家一門の墓がある。墓というより碑であろうが、利休や表・裏・武者小路千家の碑が並んでいる。利休の師である武野紹鴎の碑もすぐそばにあった。

 いつもは公開されない方丈には、聖観音菩薩をまつる。庭園は枯山水であるが、あたかも川のように作られ、石の橋が配置されたもので、奥行きがあって素晴らしかった。そばに実相庵という利休好みの茶室がある。

   祥雲寺  ↓
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   祥雲寺枯山水  ↓
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   道沿いの家のエンジェルトランペット  ↓
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   南宗寺  ↓
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by nori-126 | 2008-11-07 00:38 | 歴史散歩 堺 | Comments(4)

大浜公園 旧堺港 堺市堺区

 3月22日(土)の午後、堺の大浜公園のあたりを散策した。昨年、堺市博物館の所蔵する昭和初期の鳥瞰図に、水族館や料亭が描かれているのをみて、一度行ってみたいと思っていた。また、大浜公園の中にある日本一低い一等三角点のある蘇鉄山に登ったり、修復された燈台を見てみたかった。。

 南海堺駅から西に向かって少し歩くと、広い河口にでる。向かいの岸に、龍女神像が建っている。かなり大きなもので迫力に圧倒される。先代の像は、明治の博覧会の時に水族館前に設置されたが、撤去されてしまった。平成12年に新たに復元建設されたものである。

 河に沿って海のほうへ歩いていくと、旧堺燈台がある。現存する日本で最古の木製洋式燈台で、明治10年の築造だが、1年前に解体修理が完成した。

d0097373_20471373.jpg 大浜公園には、現在、体育館、相撲場、野球場があるが、かっては一大レジャーゾーンとして繁栄した。公園内の案内板には、日本初といわれる水族館、潮湯、多数の料理旅館があったことが記されている。ちなみに、有名な料亭旅館だった「丸三楼」は仁徳陵近くに移築され、「丸三楼雪陵庵」として営業している。また潮湯別館は、河内長野市天見に移築されて、「南天苑」として営業している。元の潮湯別館は、東京駅を設計した辰野金吾が手がけたものである。

          龍女神像 ↓
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  旧堺燈台 ↓
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  ゆきやなぎ ↓
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by nori-126 | 2008-03-23 21:03 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

堺 歴史散歩 「てくてくろーど」を歩く その2

4月11日の歴史散歩の続きです。
妙國寺 
 大蘇鉄と、堺事件の切腹の場として知られたお寺である。
 拝観時間終了直前に訪ねたにもかかわらず、堺観光ボランティア協会の女性が、親切に案内をして下さった。資料館には、堺事件の遺品などが展示されている。
 大蘇鉄 
 樹齢1100年といわれるみごとな蘇鉄である。古くから伝わる伝説によると、織田信長が安土城に移植させたところ、毎夜「妙國寺に帰ろう」という怪しげな声が聞こえたので、信長が刀で切らせたところ、切り口から鮮血が流れた。すぐに妙國寺に返されたということである。
 子規の歌碑 
 夏目漱石が正岡子規と訪れたことがあり、子規の「朝露や蘇鉄見に行く妙國寺」という歌碑がある。
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 堺事件 
 幕末に堺に上陸したフランス人を、警護していた土佐藩士が切りつけて死傷させたため、土佐藩士11人が切腹をさせられたという事件があり、その切腹の場が大蘇鉄のすぐそばにある。
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フェニックス通り 
 堺では、昔からソテツやフェニックスなどの南洋の植物がお寺の庭に植えられていたという。この通りは異国情緒を感じさせる。
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千利休屋敷跡 
 千利休は、豪商の長男として出生した。ビルの間にひっそりと屋敷跡があり、井戸が残っている。
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by nori-126 | 2007-04-21 00:57 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

堺 歴史散歩 「てくてくろーど」を歩く その1

堺市には、旧市街の名所旧跡を訪ねる「てくてくろーど」という道がある。全長7Kmで道に埋め込まれたプレートに沿って歩けば、67ヵ所の名所を訪れることができる。4月11日(水)桜の散る晴れた午後、その半分を歩いてみた。
 
 南海線七道駅・・・高須神社・・・鉄砲鍛冶屋敷・・・山口家住宅・・・寛応寺(晶子歌碑)・・・本願寺堺別院(晶子歌碑)・・・妙國寺・・・菅原神社・・・ザビエル公園・・・与謝野晶子生家跡・・・フェニックス通り・・・千利休屋敷跡

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南海線 七道駅
 駅前にある案内板である。全経路に11ヵ所あり、途中からでもこの案内板を見て歩くことができる。





高須神社前の店の看板 
 今は閉められている店になつかしいホーロー看板が並べてあったので、写真に収めた。
左から 大村昆 浪花千栄子 南利明 由美かおる 

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山口家住宅 堺が大阪夏の陣で焼け野原となったあとに建てられたもので、江戸時代前期の町屋例として貴重なものであり、国の重要文化財に指定されている。内部が非公開なのは残念である。




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本願寺堺別院
 堺最大の木造建築で、明治4年から10年間、堺県庁として使われていた。ここに与謝野晶子の歌碑がある。
by nori-126 | 2007-04-15 01:21 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)

堺市博物館 仁徳天皇陵

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 私の職場のある堺市は、昨年4月に政令指定都市になった大都市であり、由緒ある町です。古代の古墳時代から近世の自由都市まで、多くの史跡が残されています。
 そんな堺の町のことをあまり知らなかったのですが、私のふるさとの町の出身である江戸時代の沢庵和尚が、堺で寺の復興や創建したことを知って、堺の歴史に興味を持つようになりました。

 堺市博物館で「描かれた都市の姿ーパノラマ地図の系譜」という企画展があることを知って、地図の好きな私は、3月7日訪ねてみました。
 大仙公園の中にある博物館は、平日の午後とはいえ、私以外には年配の女性が一人だけでした。常設展には、古墳からの出土品が並べられ、名物の「ふとん太鼓」が展示されていました。京の楽焼の流れを汲むという湊焼の作品も興味深く感じました。

 企画展は、吉田初三郎という人が昭和の初期に書いたという日本各地のパノラマ絵地図を展示しており、堺市の鳥瞰図は、今では無くなってしまった水族館や海水浴場が記載されています。原画で鮮やかな色彩のものが印象に残りました。他には、16世紀から19世紀に製作された世界の都市の鳥瞰図が展示されていました。1点を除いて、堺市博物館が所有しているというのは、素晴らしいことです。

  大仙公園に隣接して、わが国最大の面積を誇る前方後円墳である仁徳天皇陵があります。周りの堀を含めた東西の長さ656m、南北の長さ793m、周囲2.7kmの緑の木々の繁る丘は、壮大なものです。全体を見渡せるところがないために、大きさを実感できないのが残念ですが、陵墓を上から見下ろすような施設が作られないというのは、当然のことではあります。三重の堀に囲まれていますが、一番大きな内側の堀は見ることができません。
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               ↑ 御陵の後円部分を望む     
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               ↑ 案内板の写真
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               ↑ 一番外側の堀
by nori-126 | 2007-03-08 02:57 | 歴史散歩 堺 | Comments(0)