感動を求めて、忙しすぎる「ひまつぶし」に追われている団塊世代の男の記録。
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カテゴリ:歴史散歩 大阪( 28 )

大阪城公園特別公開 一番櫓

 11月16日(日)、大阪城公園に行った。久しぶりに、バードウオッチングをしようと歩いてみた。見られる鳥の種類は増えているということだったが、特にめずらしい鳥に会うこともなく、観察している人もわずかだった。
ジョウビタキの雌やメジロを見かけた。

 豊国神社のそばを通りかかったら、一番櫓の特別公開をしていたので、中に入った。他にも公開されている金蔵、千貫櫓、多聞櫓、は前に見たことがある。徳川幕府による大阪城の工事で、七つの櫓が建てられた。その内、四番、五番、七番櫓は明治維新の大火で焼失し、二番、三番は第二次大戦の空襲で焼けて、一番と七番だけが残っている。

 一番櫓は寛永5年(1628年)に創建されたとされる。高さは14mで2階建である。1階部分だけが公開されていて、168㎡あるので、100畳くらいになる。壁には鉄砲を打つための穴や石落としも設けられている。

 天気が良くて紅葉も見られて、大阪城公園は観光客でにぎわっていた。こういう時は鳥もあまり姿を見せないのかもしれない。

 一番櫓 ↓
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by nori-126 | 2014-11-17 01:51 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

国指定史跡 池上曽根遺跡 和泉市・泉大津市

 5月10日(土)、昼から熊野街道を歩いたが、その前に池上曽根遺跡を訪ねた。前回熊野街道を歩いた時は、夕方で施設に入ることができなかった。JR信太山駅から茶色の小石を敷き詰めた道を西に歩くと、池上・曽根遺跡が見えてくる。歩道には、遺跡を描いたマンホールの蓋がある。

 入ったすぐのところにある池上曽根弥生情報館でパンフレットをいただき、発掘の様子などを示したパネル展示をみた。発掘された柱の年代測定では、紀元前52年に伐採されたことがわかっている。弥生時代の遺跡だが、2000年近く前ということになる。石器は二上山で採掘されたサヌカイトが使われていたという。

 史跡公園内には、復元された床面積80畳、高さ11mの建物である「いずみの高殿」、内径2mの大型のくり抜き井戸「やよいの大井戸」がある。その周りには、製作工房であった小型の掘立柱建物が復元されている。

 少し離れた所には、竪穴住居が2棟、円形と方形が復元されている。地面に穴を掘り、そこに屋根をかけた形の建物である。

 公園のはずれに大阪府立弥生文化博物館がある。立派な建物である。常設展示では、弥生時代の道具や暮らしについて総合的に展示されている。石器や土器、部落の模型など興味深い。やよいの大井戸に埋められていた内径2mのくり抜いた木が展示されていた。

 春季特別展「縄文!岩手10000年のたび」が開催されており、岩手県から出土した縄文時代の土器が展示されていた。3000年以上前の土器でも細かい模様や急須のような形が工夫されていて、驚かされる。3000年ほど前の大きな目の土偶が面白い。写真を撮ってもいいということだった。

 博物館は、わかりやすく展示がされており、学ぶことが多い。講演会やコンサートなども行われている。他に学習館もあるが、離れており行かなかった。

 「いずみの高殿」と掘立柱建物  ↓
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 竪穴住居  ↓
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 大阪府立弥生文化博物館 ↓
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 土偶  ↓
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 マンホールの蓋 ↓
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by nori-126 | 2014-05-11 01:54 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

鴻池新田会所 東大阪市鴻池元町

 5月4日(日)、東高野街道を歩く前に、JR学研都市線鴻池新田駅を下りて、鴻池新田会所を訪れた。参考にしている「東高野街道 生駒山西麓編」に紹介されていたので行ってみることにした。駅を下りて少し東南に歩いたところに、入り口があった。

 宝永元年(1704年)に大和川の付け替えが行われて、旧大和川に多くの新田が開発された。中でも鴻池家は200haを占める新田開発を行った。その新田の管理、監督のための事務所として会所が作られた。会所は国の史跡に指定され、本屋などが重要文化財に指定されている。

 入場料を払って中に入ると、表長屋門があって、奥に本屋がある。その土間は80畳あって、かまどがいくつも置かれている。洪水などがあった時の避難所、炊き出しの役割をしていたらしい。座敷も8-10畳の間が8室ならんでいる。庭も広くて雄大である。

 米蔵には、パネルを展示して、新田開発などの歴史がわかりやすく示されている。隣の道具蔵には、昔の農機具が展示されており、水車がずらりと並べてあった。新田で使われていた舟が展示されていた。

 事務所におられた方と話をした。これだけの施設が余り知られていないのはもったいないというと、歴史講座や特別展示などの催しをしておられるのを教えていただいた。鴻池新田会所図録という小冊子を買った。鴻池家といえば、大阪のお金持ちの代表で、落語にも「鴻池の犬」というのがある。その財力の一端を見ることができた。

 鴻池新田駅から北に歩いて、寝屋川を越えたすぐのところに、「勿入渕(ないりそのふち)址」の碑があって、案内板が立っている。ここは、かってあった深野池の最南端の淵にあたるとされる。枕草子に「渕はないりその渕」と書かれている。

 鴻池新田会所冠木門と表長屋門  ↓
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 本屋土間  ↓
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 本屋座敷  ↓
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 庭園  ↓
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 米蔵  ↓
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 舟 ↓
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 勿入渕址  ↓
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by nori-126 | 2014-05-04 21:52 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

大阪市中央公会堂 大阪市北区中之島

 6月8日(土)、昼から学会で、大阪中央公会堂を訪れた。以前に会議室で委員会をしたことがあるが、全体を見学するのは初めてである。

 大阪市中央公会堂は、明治44年に岩本栄之助が、公会堂建設資金として、大阪市に100万円を寄付したことで建設されることになった。公募の設計競技で13名が応募して、岡田信一郎が選ばれた。この案をもとに、辰野片岡建築事務所が実施設計を行った。

 大正7年(1918年)に工事が完成したが、完成を見る前に岩本栄之助は株取引の失敗で自殺した。

 平成23年7月23日~9月25日まで、大阪歴史博物館で開催された「民都大阪の建築力」展では、設計競技に参加した13案の透視図などが展示された。小説「プリンセストヨトミ」でも設計者は辰野金吾となっているが、基本設計は岡田信一郎で、現在の中央公会堂は、岡田の透視図とほとんと変わらない。

 大集会室は、シャンデリアがぶら下がって、太い柱が並んだ重厚な部屋である。2階横からの席では、学会で使うスクリーンは見にくいが、講演会なら支障はないだろう。昔の帝国議会という雰囲気である。

 3階の中集会室はステンドグラスがあって、やはり落ち着いた部屋であるが、かっては華やかな舞踏会がおこなれたのではないだろうか?その横の特別室は貴賓室として使われたとのことで、壁や天井に日本神話の絵が描かれている。この部屋に入ったはずのなのに、絵に気付かずじまいだった。

 
 栴檀木橋から見る大阪市中央公会堂  ↓
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 大集会室  ↓
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 中集会室  ↓
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 中集会室  ↓
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by nori-126 | 2013-06-09 05:00 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

天下の城下町 大坂と江戸 大阪歴史博物館

 3月17日(日)大阪歴史博物館特別展を見に行った。

 天下の城下町 大坂と江戸
 平成25年2月2日(土)-3月25日(月) 
 大阪歴史博物館 6階特別展示室

 日本の都市の原型である城下町、その中でも特に大きい大坂と江戸はモデルとして重要である。はじめに大坂の原型ともいうべき、小牧と安土の城下町が紹介される。次に豊臣秀吉が作った大坂が紹介される。秀吉像、城の図面、出土した瓦、茶碗などである。街道の原点である高麗橋の擬宝珠(慶長9年銘)が展示されていた。

 次に江戸城と城下町が紹介される。江戸の町割り図や藩屋敷から出土した瓦などである。

 最後のコーナーには、徳川時代の大坂が紹介される。大坂三郷絵図や京橋擬宝珠が展示されていた。古地図をみていると、今の地形と違っていて興味深い。
by nori-126 | 2013-03-19 02:11 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

大阪歴史散歩 難波橋~天神橋~南天満公園~天満橋 後半

 4月30日(月・祝)難波橋から天神橋まで歩いた歴史散歩の後半である。

 土佐堀通りの北側を東に歩くと料亭「花外楼」があるが、ビルの建て替えのために閉鎖されていた。平成26年夏にオープン予定となっている。「花外楼」は大阪会議が行われたことで知られる。大阪会議は、明治8年に明治政府の要人である大久保利通・木戸孝允・板垣退助らが政府の方針や案件について協議した会議である。

 さらに東に歩いて、葭屋橋(よしやばし)を渡った。土佐堀川から南に分かれる東横堀川にかかる橋である。天神橋のかかる松屋町筋の手前に、大正15年に建てられた大林組旧本店がある。4月7日に食事をした「ル・ポンド・シエル」の入っている建物である。天神橋の上からその全体像をのぞむことができる。小説「プリンセス・トヨトミ」では、大阪城への地下の秘密の通路の出口がこの建物と設定されている。

  ルポンドシエルビル(大林組旧本店)   ↓
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 天神橋はかって江戸幕府の管理する公儀橋で、浪華三大橋の中で一番長い。中之島の東の端を跨いでかけられている。1832年の天神祭で、橋の上からだんじりが落ちて、多数の犠牲者を出す事故があり、「天神橋長いな、落ちたらこわいな」と童歌に歌われた。落語の枕では、橋が落ちたら恐いと使われたことがあるが、「ロンドン橋」と違って、橋が落ちるのではなく、橋から落ちたら恐いということである。

  葭屋橋から見る天神橋   ↓
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d0097373_22261429.jpg 天神橋を北へ渡って天満橋との間にある南天満公園を東に歩いた。桜並木が続いているので、花の時期にはさぞ見事だろう。公園内に「天満青物市場跡」の碑がぽつんと建っている。青物市場とは果物や野菜を扱った市場で、堂島の米市場、雑喉場の魚市場と並んで大坂三大市場であった。


d0097373_22263059.jpg 少し東に「天満の子守歌」の像と碑がある。

ねんねころいち 天満の市は
大根(だいこ)そろえて 舟に積む
舟に積んだら どこまで行きゃる
木津や難波の 橋の下
橋の下には かもめがいるよ
かもめとりたや 竹ほしや

d0097373_22265112.jpg さらに東に淀川三十石船舟唄碑がある。京都と大阪の八軒家浜を結ぶ三十石船の絵と舟歌の歌詞が書かれている。






 天満橋は、大阪では珍しい2階建ての橋である。江戸時代には公儀橋に指定されていた。江戸時代には、現在地より一筋東にかけられていた。

   天満橋  ↓
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d0097373_22372371.jpg 天満橋を越えてから川崎橋を渡って京阪本線の線路をくぐると、土佐堀通りに戻る。京橋のたもとに京橋川魚市場跡の碑がひっそりと置かれている。知らないと見逃しそうである。




 京橋に沿って設置されている歩道橋から大阪城をみると、その手前に大阪砲兵工廠の旧化学分析場の古いレンガ造りの建物がみえる。自衛隊の施設として使われたこともあるが、今は廃墟である。砲兵工廠は昭和20年8月14日の空襲で破壊された。雨の中に煙るその姿は、明るい大阪城とのコントラストが不気味である。ちなみに砲兵工廠本館の跡に建設されたのが、大阪城ホールである。空襲の標的となった場所で「1万人の第九」の平和な歌声が響くという意義も考えてみたい。

  旧化学分析場と大阪城  ↓
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 寝屋川橋を渡って上町筋との交差点のすぐ南にドーンセンターがある。建築時の発掘によって発見された、徳川によって埋められてしまった豊臣時代の三の丸の石垣を再現している。石組は簡素で、徳川によって作られた現在の石組みがいかに多大の労力をつぎ込んで作られたかということがわかる。

  豊臣時代の石垣   ↓
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d0097373_2237397.jpg さらに西に歩いて谷町筋を越えると、「長田昆布店」の店先に八軒家船着場跡の碑がある。京都と大阪を結ぶ三十石船の船着場である。このすぐ西の交差点が熊野街道の始点である。
by nori-126 | 2012-05-03 01:38 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

大阪歴史散歩 難波橋~天神橋~南天満公園~天満橋 前半

 4月30日(月・祝)文楽を見た後、難波橋から天神橋を渡り、南天満公園から天満橋まで歩いた。このあたりは歴史遺跡が多く残る地域で、歴史散歩の一つのコースとなっている。

 地下鉄北浜駅から外にでたところが難波橋の南詰北浜1丁目交差点である。交差点の南西のビルの前に「大阪俵物会所跡」の石碑と案内板がある。中国に輸出していた俵物とよばれるふかのひれや干あわびなどを扱っていた場所である。

 難波橋は、天神橋、天満橋と共に浪花三大橋と呼ばれる。明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっていた。江戸時代は、幕府が管理する公儀橋の一つだった。1912年(明治45年)に大阪市電が天神橋筋六丁目まで延伸された時に、市電敷設の反対運動が起こったため、一筋東の堺筋に新橋が架けられたのが、現在の難波橋である。

 欄干の両端にはライオンの彫刻が置かれている。当時の天王寺動物園のライオンをモデルにして作られたという。左側のライオンは口を開ける阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっている。黒雲母花崗岩でできている。難波橋はライオン橋とも呼ばれる。

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 難波橋の上から大川の下流を望むと、大阪中央公会堂の全貌がみえる。公会堂の前の橋は栴檀木橋で、その橋の向こうに新しいフェスティバルホールが作られるビルが見える。壁にすでにフェスティバルホールという文字がみえて、ミューズのレリーフが新しく作られている。

   中央公会堂   ↓
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   栴檀木橋と新フェスティバルホールの建物  ↓
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 難波橋の南端の交差点の南東に大阪証券取引所があり、その前に証券取引をはじめるのに功績のあった五代友厚の像が建っている。

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 土佐堀通りの北側を東に歩いてすぐに、近代的なビルにはさまれた小さなビルがある。北浜レトロビルという大正2年(1913)に建てられたもので、現在は喫茶店になっている。前に一度店内に入ったが、英国風の内装が歴史を感じさせた。

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by nori-126 | 2012-05-02 22:03 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

大阪歴史散歩 四ツ橋~新町

 4月8日(日)オリックス劇場のグランドオープン記念コンサートのあと、周辺の史跡を訪ねて歩いた。林豊著「史跡名所探訪 大阪を歩く 大阪市内編」東方出版を片手に、四ツ橋・立売堀界隈のところを見ながら歩いた。

d0097373_23334228.jpg 劇場のすぐ南の新町北公園は、桜が満開で花見をする若い人たちでにぎやかだった。新町はかっての遊里で、歌舞伎で有名な夕霧大夫は新町九軒町の吉田屋の遊女だった。公園の西北の隅に、「新町九軒桜堤跡」の碑と加賀千代女の句碑「だまされて 来て誠なり はつ桜」がある。


 公園の西南角の筋向いには、「初世中村鴈治郎生誕地」の碑がある。新町の置屋の扇屋に生まれ、「頬かむりの中に日本一の顔」と読まれた名優である。

d0097373_2334315.jpg 西に歩いて、なにわ筋にでて南に下ると長堀通りにでる手前に、大阪屋というレトロな建物がある。大正11年の建築で、玄関部はかって芸妓のための「新町演舞場」だった。この辺りには、戦災を免れた大正・昭和初期のビルが点在する。








d0097373_23342153.jpg 大阪屋のすぐ南の公園に「ここに砂場ありき」という碑が建っている。公園に砂場があるのは当たり前だろうと思って碑文を読むと、「砂場」は豊臣秀吉が大坂城を築城するとき、石や砂を置いた場所のことで、集まってきた人夫を相手に「うどん・そば屋さん」が誕生し、「砂場」と呼ばれたという。これを顕彰する碑だった。

d0097373_2334446.jpg 長堀通りを西に歩いて、あみだ池筋との交差点の白髪橋に「大阪木材市売市場発祥地」の碑がある。この辺りは江戸時代にセリでの木材取引が始まったところである。立売堀という地名は「いたちぼり」と読む難解文字である。当初は伊達家にちなんで「伊達堀(だてほり)」といわれたのが、伊達をいたちと読み、木材の立売りがはじまると立売堀となって、読み方がいたちのまま残ったとされる。

d0097373_23351240.jpg あみだ池筋を南に下ると和光寺がある。阿弥陀池と呼ばれる由緒あるお寺であるが、時間が遅くて中には入れなかった。落語の「あみだ池」でも知られる。ここから西に歩いて、新なにわ筋を越えて、市立中央図書館の南端に「木村兼葭堂宅跡」の碑が建っている。江戸時代後期の物産学者で貴重なコレクションを全国から訪ねる人があったという。

d0097373_23353151.jpg 長堀通りを東に歩いて、四ツ橋の駅に行った。かって、西横堀川と長堀川が交差する所に、ロの字型に4つの橋、上繋橋、下繋橋、炭屋橋、吉野屋橋がかかっていた。今は埋め立てられて、高速道路の下に碑があって、俳人小西来山の「涼しさに 四つ橋をよつ わたりけり」と刻まれている。


 時間がなくてゆっくりできなかったが、いつか、和光寺や土佐神社、レトロビルを訪れてみたいものである。

 大阪屋(元新町演舞場) ↓
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by nori-126 | 2012-04-10 02:03 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

大阪城「千貫櫓・多聞櫓・金蔵」特別公開

 11月6日(日)大阪城の重要文化財「千貫櫓・多聞櫓・金蔵」特別公開に行った。大阪城天守閣復興80周年祭が10月8日~11月27日まで開催されており、様々な行事が行われている。雨が降りそうな天気だったが、特別公開は明日までなので、でかけることにした。

 大手門に行くと、運行を再開したロードトレインが止まっていた。大手門を入ったところの桝形の石垣の上に多聞櫓が建っている。入場券を買って、続櫓と呼ばれる細長い櫓の端から中に入り廊下を歩いて行く。ここには、10畳から20畳の部屋がいくつか並んでいる。

 大門の上にあるのが渡櫓でかなり広い。徳川幕府が当初作ったものは落雷で焼失して、1848年に再建されたものである。観光ボランティアの人がいて説明をしてくれた。70畳くらいの部屋はいざという時のためのもので、いつもは人が生活していたのではないという。説明文や写真パネルが置かれて、修理の時の出土品が展示され、ビデオ上映がされていた。

 多聞櫓から通路で千貫櫓に行くことができる。西の丸の隅にあるが、ここからは大手門に至る土橋を見通すことができる。1620年に作られたもので、大阪城に現存する一番古い建物である。1階だけが公開されている。

 西の丸庭園に入って、外から千貫櫓をみた。桜の木は少し紅葉が始まっている。本丸広場に行くと菊花展が開催されていて見事な菊の花が展示されていた。

 天守閣そばにある金蔵も公開されている。中に説明パネルが並べられている。元禄時代の記録によると金13万両、銀4400貫等が納められていて、金1両を24万円とすると500億円くらいの金額になるという。総重量は22トンにもなるというが、それほど頑丈な作りには見えなかった。

 本丸広場の天守閣前の特設ステージでは、歴史トーク&クイズが行われており、「大阪城ふしぎ発見ウォーク」の著者である大阪城天守主任学芸員の北川央さんがお話をされた。

 帰りは少しでも鳥の姿が見えないかと思い、豊国神社周りや桜広場、音楽堂西通路、市民の森に寄ってみたが全くみることができなかった。

    多聞櫓から大手口桝形をのぞむ   ↓
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    多聞櫓の広間   ↓
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    千貫櫓から大手門土橋をのぞむ    ↓
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    千貫櫓の内部  ↓
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    西の丸庭園から千貫櫓    ↓
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    西の丸庭園から天守閣をのぞむ   ↓
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    菊花展   ↓
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by nori-126 | 2011-11-06 23:20 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)

第3回なにわなんでも大阪検定 2級合格

d0097373_13532763.jpg 8月18日(木)第3回「なにわなんでも大阪検定」の試験結果が郵送で届いた。自己採点での結果と同じ77点で合格しており、プラスチックカードの2級合格証が入っていた。





 2級の受験者は1038人で62位だったので、1か月少しの受験勉強期間としては上出来である。2級の合格者は170人で合格率は16.4%と昨年とほぼ同じだった。これで来年の1 級の受験資格が得られたが、1級は大変難しい。昨年の1級合格率は1.6%だったし、今年は少し良くなって6.8 %だった。

 昨年の1級の問題を以前してみたが、50点少ししか取れなかった。聞いたことのない人名がたくさんでてくる。4者択一が50問で各1点、記述問題が25問で各2点なので、これで80点取るのは並みの勉強では無理である。検定のためだけにどのくらい勉強する気になれるかが問題である。好きなことをするのが、「ひまつぶ誌」の信条なので、検定に合格するために勉強をするのは邪道ということになる。

 大阪検定を機会に、改めて大阪の歴史に興味を持つようになった。大阪検定を受ける前後で読んだ本の中には、試験を別にしても興味を持って読める本があった。

 「大阪今昔散歩」原島広至著 中経出版 657円 明治・大正・昭和初期の絵葉書や古い写真で当時の大阪の姿を紹介し、現在の写真と比べている。
 「大阪古地図むかし案内 読み解き大坂大絵図」本渡章著 創元社 1800円
 「続 大阪古地図むかし案内 明治から昭和初期編」本渡章著 創元社 2000円 
 明治維新から大大阪時代の古地図を元に当時の出来事を紹介している。人力車の普及や、第5回内国勧業博覧会の詳細な内容が興味深い。

 
by nori-126 | 2011-08-19 01:19 | 歴史散歩 大阪 | Comments(0)