感動を求めて、忙しすぎる「ひまつぶし」に追われている団塊世代の男の記録。
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<   2012年 08月 ( 12 )   > この月の画像一覧

西高野街道 第1回 堺駅~十三里石~十二里石 後半

 8月29日(水)西高野街道を歩いた後半である。

 南海高野線を耳原橋で渡り、仁徳陵の北の端にでる。前に自転車で古墳めぐりをした時に通った道である。国道310号線に沿って三国ヶ丘の方に歩いた。駅前の花壇のホウキグサがすでに赤く色を変えていた。上下水道庁舎から静かな住宅街の裏道を歩く。

 石田家長屋門や南口家長屋門などの古い家が残っている。さらに進むと、御廟表塚古墳と筒井家長屋門前の楠の木がある。筒井家の屋敷は江戸初期の建物といわれる。中には入れないが茅葺の家がみえる。国道310号線はよく通るが、その裏道に古い家が残っているのは初めて知った。

 中百舌鳥から府大の方へ歩いて、310号線を少し歩いて再び裏道に入る。白鷺公園の西の端を歩いて、星谷池に至る。その少し南に地蔵堂があり、少し南に地蔵堂と十二里石がある。

 十二里石から少し南に歩くと出雲大社大阪分祠がある。広い境内で多くの社がある。ここから初芝駅まで歩いた。駅の近くの「千寿の湯」に入った。汗をかいたあとの風呂は気持ちがいい。

  南海三国ヶ丘駅前のホウキグサとキバナコスモス  ↓
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  石田家長屋門  ↓
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  筒井家楠の木  ↓
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  十二里石   ↓
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  出雲大社・大阪分祠  ↓
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by nori-126 | 2012-08-31 02:07 | 街道を歩く | Comments(2)

西高野街道 第1回 堺駅~十三里石~十二里石 前半 

 8月29日(水)西高野街道を歩いてみようと、昼からでかけた。にわか雨が降ったあとで、曇り空なので、少しは暑さがしのげるかと考えてでかけることにした。

 西高野街道に遊ぶ会会長横山豊著「西高野街道に遊ぶ 西高野街道58km完全踏破ガイドブック」平成21年9月初版 新葉館出版 はわかりやすい地図がついたガイドブックである。街道筋だけでなく周辺の遺跡などについても詳しく書かれている。この本をお伴に、まだ行ったことのない高野山への道を少しづつ歩いてみることにする。

 西高野街道は、堺から高野山に至る道で、中世には堺の港から高野山に参る道として栄えた。高野街道には4つあって、東高野街道は京街道とも呼ばれ、京都から枚方、石切、道明寺、富田林寺内町を経て、河内長野で西高野街道を合流していた。中高野街道は平野杭全神社を起点として南下して、狭山神社に至り、河内長野で西高野街道と合流していた。下高野街道は四天王寺を起点として、矢田、布忍を経て大阪狭山市で西高野街道と合流していた。

 西高野街道は、堺の大小路と大道筋の交差点から東に進み、狭山を経て河内長野で他の街道と合流して1本になる。西高野街道の往来が盛んだったので、合流したあとも西高野街道と呼ばれたという。

 西高野街道 第1回 南海堺駅~関茶屋十二里石
 南海堺駅(2:30)-栄橋-大小路大道筋交差点(2:45)-堺東-十三里石(竹之内街道分岐)(3:20)-三国ヶ丘(3:45)-筒井家住宅(4:20)-中百舌鳥-白鷺公園(4:50)-十二里石(5:10)-出雲大社大阪分祀-南海初芝駅(5:50)

d0097373_21442576.jpg 南海堺駅の東口からでると、土居川にかかる南蛮橋に南蛮人の像がある。はじめてみると驚く。少し東に行ったところにかかる栄橋が西高野街道の起点とされている。ここから東に歩き、阪堺電車にでて、左に曲がると大道筋と大小路の交差点にでる。この交差点には、紀州街道の碑、晴明辻跡の碑、そして明治35年に建てられた紀州街道と西高野街道の分岐を示す道標石がある。

d0097373_22124572.jpg 堺東から細い道に入ると、地蔵堂がある。南海高野線を越えて榎元町の細い道を歩く。小さな丘に宝篋印塔などが建っている。江戸初期のものらしい。











d0097373_221067.jpg 少し歩くと竹内街道との分岐点がある。ここに地蔵堂と里程石がある。里程石には、「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれている。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立された。これからこの里程石をたどっていくことになる。



南蛮橋の南蛮人像   ↓
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西高野街道の起点とされる栄橋   ↓
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里程石十三里石  ↓
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by nori-126 | 2012-08-31 02:05 | 街道を歩く | Comments(0)

夏の花壇 2012年8月 

 8月27日(月) 職場の玄関横の花壇は、6月に植えた花の苗が大きくなって茂っている。剪定するようにしているが、花のついたのを切るのは躊躇するので、今の時期になるとどうしても徒長する。春に鉢を置いたストレリチア(極楽鳥花)は、新しい葉がでてきている。

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by nori-126 | 2012-08-31 01:30 | 園芸 | Comments(0)

ルポンドシエル 大阪市中央区

 8月18日(土)家族でレストラン「ルポンドシエル」に行った。今月は息子と娘の誕生月になるので、久しぶりに家族4人で外食をすることにした。我が家のラブラドールレトリバーは、夜は一人で留守番ができないので、なかなか家族で揃って外食をする機会がない。今回は、愛犬家の知り合いに、留守の間預かってもらった。

 ルポンドシエルは、元大林組本店の由緒ある建物に入っている。11日に暗越奈良街道を歩いた時にもその前を通った。4月にある会の懇親会できたことがある。その時は個室だったが、今回は広いホールにいくつかのテーブルが置いてあり、薄くらい中で静かに食事を楽しむことができた。

 魚はレマン湖産の鱒で、肉は鴨肉だった。前にも食べたフォアグラは、今回もおいしかった。

 
by nori-126 | 2012-08-29 01:05 | 美味探訪 | Comments(0)

暗越奈良街道 第2回 玉造~布施 後半

 8月15日(水)暗越奈良街道を玉造から布施まで歩いた後半である。

d0097373_1362122.jpg ここからさらに歩くと、少しルートを外れた公園の片隅にセメントで作られたコンドルのレリーフがある。戦前の大軌鉄道のマークであり、百貨店に掲げてあったものではないかといわれている。なぜこの公園に置かれているかは不明という。

 大阪電気軌道(大軌)は明治43年に創立され、上本町ー奈良間を大正3年に開業した。昭和11年、上本町に大軌百貨店がオープンした。大軌は幾多の変遷を経て、近畿日本鉄道(近鉄)になっている。(参考文献 橋本雅夫著 大阪の電車青春物語 草思社 1997年刊)

 この辺りから細い街並みを歩くが、古い民家があり、弁柄格子やうだつのある家がみられる。うだつというのは、1階と2階の屋根の間に仕切りを入れたもので、もともとは防火壁だったが、装飾の意味があり、うだつがあるのは、裕福な屋敷ということになる。「うだつが上がらない」とは、裕福な家を建てられないということである。昔の街道というのはこういう雰囲気だったのだろうと思わせる通りである。長堀通りにでる手前に熊野大神宮と妙法寺がある。妙法寺は、江戸時代の近世国学の祖といわれる契沖が住職をした寺である。

 千日前通りにでるところに、火袋式道標が立っている。上部をくり抜いてろうそくを灯したものである。「左ならいせ道 右 きしのだう くはんぜをん 志ぎざん 八尾久宝寺 道」と刻まれている。昔の旅人は夜歩くことはなかったので、物を運ぶ業者のためのものらしい。

d0097373_15699.jpg 寄り道をして千日前通りを渡り、南の片江地区にいくと、在宅サービスセンターに芸人の町・片江顕彰板がある。地図に昭和初期にこの辺りに住んだ芸人の家が記されている。昭和7年に五代目笑福亭松鶴が転居してきて、自宅を「楽語荘」と名付けて落語の普及に貢献した。多くの芸人が近くに住むようになった。多くの落語家の他に、西条凡児や横山エンタツの名もみえる。

 元のルートに戻って、千日前通りに沿って東に歩くと、新深江駅を越えて、道路脇にコクヨ本社の大きなビルがみえる。さらに歩いて新深江の交差点を越えて、左に曲がって深江地区の名所をめぐる。法明寺は法明上人が建立したお寺である。

 寺の隣に深江稲荷神社がある。鋳物の神を祭る神社で、この地域はかって鋳物の工場がたくさんあった。茶釜の人間国宝角谷一圭の生家が神社の前にある。神社入口には「深江菅笠ゆかりの地」の碑があって、菅笠(すげがさ)がこの地域で作られていた。

 神社のすぐ北に深江郷土資料館がある。平成22年に地元の寄付で作られたものである。入れるのかなと迷っていると、資料館の玄関の鍵をかけかけた男性が、見学するならとわざわざ鍵を開けて中に入れて下さった。角谷一圭をはじめ、角谷家の茶釜が展示されている。茶釜は滑らかな表面に繊細な模様が浮き出ていて、鋳物という感じがしない。

 深江の菅笠の歴史や作品が展示されている。伊勢音頭に「大坂離れてはや玉造、笠を買うなら深江が名所」と歌われた。また、資料館の横に菅を植える田があって、地元の人が保存会を作って技術を伝えている。来年の伊勢神宮の式年遷宮の際に1.7mの大きな菅笠を奉納することになっている。

 元の道に戻って、千日前通りから小道に入ると、1797年の設置された案内地蔵がある。法明寺への道案内の道標である。古い街道の雰囲気の残る細い道を歩くと、布施の商店街「ブランドーリふせ」に至る。やっと東大阪市に入った。約600mの商店街で、道も広い。ここから街道は北へ、さらに東へ続くが、今日はここまでとして、商店街を南に歩いて、近鉄布施駅に着いた。駅前に元禄寿司本店がある。昭和33年に開業した「廻る元禄寿司1号店」が回転寿司のルーツである。

 ブログ「おっちゃんの四季通信」は平成23年3月に上本町駅から枚岡神社まで歩かれた。その時に参考にされた地図は近鉄が発行している「伊勢参宮本街道1 玉造稲荷神社から河内平野横断コース」である。暗越奈良街道ガイドブックとほぼ同じルートである。

 うだつのある民家  ↓
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 火袋式道標   ↓
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 深江稲荷神社  ↓  
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 深江郷土資料館 白いのは設置されているミスト ↓
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 案内地蔵   ↓
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by nori-126 | 2012-08-15 23:54 | 街道を歩く | Comments(0)

暗越奈良街道 第2回 玉造~布施 前半

 8月15日(水)暗越奈良街道を歩いた。第1回目は玉造の二軒茶屋跡で終わったが、続きを歩く前に真田幸村ゆかりの地である三光神社を訪れた。地下鉄鶴見緑地線玉造駅2番出口からすぐ南に小高い丘がある。本殿に上がる階段の横に、真田幸村の銅像がある。すぐ横に洞穴があり、真田の抜穴跡といわれる。中は暗くてよく見えないが、大阪城からの抜け穴というのは、ロマンのある話である。

 暗越奈良街道 第2回 玉造~布施 8月15日

 地下鉄鶴見緑地線玉造駅(2:10)-三光神社-JR玉造駅(2:30)-中本本通り警邏連絡所-矢田地蔵-八阪神社(2:50)-玉津橋(3:00)-四代目桂米團冶顕彰碑(3:20)-堺屋太一銘板(3:35)-コンドルのレリーフ(3:40)-妙法寺・熊野大神宮-火袋式道標(4:00)-芸人の町・片江顕彰板-法明寺・深江神社・深江郷土資料館(4:35)-案内地蔵ー布施駅(5:05) 3.2km

 JR玉造駅まで行き、ここから前回の続きを歩く。二軒茶屋の史跡から、すぐ東にななめ右に入る細い道がある。道路がカラーで舗装されている。入口のところに暗越奈良街道の碑が立っている。入ってすぐのところに小さな建物があり、中本本通り警邏連絡所という。昭和12年に建てられたもので、府内で5番目に古いが、今も現役である。小さい建物で、見逃して通り過ぎてしまい、引き返してみつけた。

 少し歩いたところの路地に矢田地蔵が祭られている。豊臣秀吉の弟の秀長が郡山城主となり、暗越奈良街道の整備が進んだ。郡山にあるアジサイで有名な矢田寺に所縁がある。

d0097373_114263.jpg 玉津1丁目の大きな交差点を渡って、さらに東に向かう。道の傍に「暗越奈良街道 距高麗橋元標壱里」という明治35年の道標がある。その反対側に八阪神社という碑が建っている。その道を少し歩くと突き当たりに八阪神社の鳥居がみえる。境内に大きな石の碑があるが、この碑は、玉造にあった黒門橋(石橋)の石を使って作られたものという。神社のそばに「八阪湯」という昭和3年創業のレトロな公衆浴場があった。

d0097373_12180.jpg 元の道に戻って、すぐに玉津橋を渡る。橋の欄干に昔の地図をエッチングしたものが6枚張ってあり、橋の歩道は、石畳み風になっている。8月15日は精霊流しの行事で、受付がされていたが、実際には川に流さないという。



d0097373_122789.jpg 玉津橋を渡ったところをすぐに右に回って南西方向に歩く。東成警察署から寄り道をして、東成区役所に行くと、四代目桂米團冶顕彰碑がある。現在の区役所敷地内にあたる自宅で、「中濱代書事務所」を開き、落語「代書屋」を創作した。春団冶や枝雀で聞いたことがある。米團冶は桂米朝の師匠としても知られている。米朝の子が五代目米團冶となり、顕彰碑の川柳の字を書いている。

  元のルートに戻って、今里筋を渡ると、セブンイレブンのあるビルの壁に大きな銘板があり、暗越奈良街道の説明が書かれている。堺屋太一の名が入っている。大阪と奈良を結ぶ道で、多くの物や人々が通ったことが記されている。

 三光神社 真田の抜穴跡   ↓
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 中本本通り警邏連絡所   ↓
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 矢田地蔵   ↓
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 堺屋太一銘板  ↓
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by nori-126 | 2012-08-15 19:40 | 街道を歩く | Comments(0)

納涼囲碁まつり 大阪新阪急ホテル

 8月14日(火)納涼囲碁まつりに行った。前日から雷雨で天気が悪そうなので、外を歩くのを止めて、梅田の新阪急ホテルでの催しに行った。昨年から始まった催し物である。

 囲碁まつりは14日(火)と15日(水)の2日間開催される。内容は、早碁でのプロ棋士の対局、ペア対局、棋士のトークタイムなどの催しが開催される。他にアマチュアが参加できる指導碁や棋力別の対局がある。

 日本棋院関西総本部の井山裕太十段、天元が7月に本因坊と碁聖を獲得して、4冠王となった。7大タイトルの内、一人で4つを保持するという活躍である。名人戦では、挑戦者決定戦で惜しくも負けて、名人への挑戦はならなかったが、棋聖戦でも順調で、棋聖への挑戦者になることが期待される。関西の囲碁界が盛り上がって、参加者も多いかと思ったがそれほどでもなかった。

 第1会場で行われる1手20秒超早碁納涼トーナメントをみた。山田規三夫九段と謝依旻女流本因坊名人の後半と高尾紳路九段と村川大介新人王の対局を見た。村川新人王は関西棋院の若手で期待の星である。

 会場で石井邦生先生にお会いして話をした。先生に長年、指導碁を打っていただいたが、弟子である井山本因坊の活躍に大喜びであろう。他に同業のHさんやMさんをみかけた。
by nori-126 | 2012-08-15 00:35 | 囲碁 | Comments(0)

暗越奈良街道 第1回 北浜~玉造 後半 

 8月11日、暗越奈良街道の北浜から玉造までの後半である。

 東雲稲荷神社からさらに東に歩いて、大阪女学院大の校舎の前を通り過ぎるとやがてJR玉造駅に着くが、ガイドブックに従って、付近の旧跡を訪ねることにした。ガイドブックは天満橋から大阪城を通って玉造にでるルートを別に紹介している。そのルートの最終パートを歩いて見ることにした。

 大阪女学院大を過ぎたところを左に曲がり、北に向かうと、突き当たったところに玉造稲荷神社がある。神社の入り口に「玉作岡」という碑がある。古代に玉作部の集団が住んでいて、勾玉を作っていた。神社は大阪で最も古いといわれる。江戸時代には、伊勢参りに行く時の出発点で、「伊勢迄歩講起点」という碑がある。入口には玉造を読み込んだ近松門左衛門の浄瑠璃の台詞を記した碑がある。

 境内には、昨年立てられた真新しい豊臣秀頼公の銅像がある。境内隅に石の鳥居の上の部分だけが、置かれているが、豊臣秀頼寄進の鳥居で、阪神淡路大震災で壊れた。慶長8年(1608年)3月と彫られている。

d0097373_1957985.jpg 玉造神社の前を西に歩いて行くと大阪玉造カトリック教会の大聖堂がある。細川ガラシア夫人と高山右近の像が建てられている。

 教会を北に歩くと道の真ん中に越中井の史跡がある。この辺りは細川越中守忠興の邸宅跡で、「越中井」はそこにあったものといわれる。慶長5年(1600年)、忠興が家康に従ったので、石田三成が忠興夫人のガラシア夫人を人質にしようとしたが、これを拒んで自害した。

 「越中井」のすぐ北に中央大通りがあり、すぐ西にパル法円坂がある。今年の一万人の第九の大阪10クラスの会場で、9月からレッスンに通うことになる。パル法円坂は、難波宮跡のすぐ東に接していて、建設時に多くの遺跡がみつかった。「難波宮内裏東方遺跡」の説明板があって、難波長柄豊碕宮、そして難波宮があった由緒ある地域である。

d0097373_10432688.jpg 街道に戻ってすぐ東にJR玉造駅がある。江戸時代には、大阪から奈良街道の起点は玉造であり、ここに「つるや」「ますや」という二軒の茶屋が建てられて繁盛したというので二軒茶屋と呼ばれた。

 1700年頃に、そばの川に橋がかけられて、当時珍しい石造りだったので石橋と呼ばれた。正式名称は近くにあった大阪城の黒門にちなんで、黒門橋という。駅の東の道路脇に「玉造名所 二軒茶屋 石橋旧跡」の碑が立っている。ちなみに日本橋にある黒門市場は、近くにあった圓明寺の山門が黒かったことから名付けられたという。

 石碑の南にある東小橋北公園に伊勢音頭のプレートが埋められている。どこにあるかと公園中を探して、公園の北東の入口の地面に埋められているのをみつけた。伊勢音頭といえば、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」というのが有名だが、各地で替え唄が作られて、ここの歌詞は深江の菅笠を読み込んでいる。

 曇り空で暑さもましかと歩いたが、やはり熱い。汗が噴き出て熱がこもるようである。運動不足のせいもあるが、少しぼーとしてきたので、熱中症にならないようにと、タオルを水で濡らして体を拭いた。ビル陰に座って風に吹かれると元気がでてきた。

 暗越奈良街道は高麗橋から奈良春日大社まで41kmある。今日歩いたのは寄り道を除いて、4.3kmに過ぎない。寄り道をして、名所旧跡を確かめながらなので、3時間近くかかった。何回歩くと奈良にたどり着くのかわからないが、少しずつ歩いてみたい。

  玉造稲荷神社   ↓
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  玉造稲荷神社 豊臣秀頼公像   左は資料館  ↓  
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  玉造稲荷神社 秀頼寄進の鳥居   ↓
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  大阪玉造教会  右に細川ガラシャ夫人像   ↓
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  越中井   ↓
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by nori-126 | 2012-08-12 00:42 | 街道を歩く | Comments(0)

暗越奈良街道 第1回 北浜~玉造 前半 

 8月11日(土)昔の街道を歩いてみようと、北浜から暗越奈良街道を歩いてみることにした。お盆の休みで、山にいく予定にしていたが、天気が悪いということなので、中止にした。歩きには暑過ぎるが、曇り空なので少しはましかと無理をしない程度に歩いてみることにした。

 前から街道を歩いてみたいと思っていたが、6月に東大阪瓢箪山に行った時に、東大阪と奈良の結びつきを聞いて、暗峠(くらがりとうげ)を越える奈良への道に興味を持った。新聞で、今年3月に「暗越奈良街道ガイドブック2012」という本が出版されたことを知って購入した。編集は暗越奈良街道編集委員会で、大阪や奈良の有志によって制作された。地図もついてわかりやすい。

 大阪から奈良へ行く道はいくつかあるが、暗越が最短の距離である。それまでは竹内街道が主流だったが遠回りであった。暗越奈良街道は奈良や伊勢に行く人でにぎわったという。

 暗越奈良街道 第1回 高麗橋~玉造 8月11日

 北浜(2:25)-高麗橋(2:35)-御祓筋(2:55)-榎木大明神(3:20)-東雲稲荷神社(3:45)-玉造稲荷神社(4:05)-大阪玉造キリスト教会(4:25)-越中井(4:30)-パル法円坂(4:35)-JR玉造駅・二軒茶屋跡(5:10)

d0097373_23441971.jpg 暗越奈良街道の起点は、高麗橋とされている。高麗橋に行くのに電車では北浜の駅が近い。北浜の駅をでると、難波橋の南端にでる。4月にここから天満橋まで歩いた。その同じ道を天満橋に向かって歩いた。「花外楼」のビルは工事をしていて、工事の覆いに花外楼で行われた大阪会議を説明したプレートが掲げられていた。

d0097373_23451232.jpg 東横堀川を渡る葭屋橋のすぐ南に今橋があって、すぐまた南に高麗橋がある。高麗橋は豊臣秀吉が大阪城外堀として整備した東横堀川にかけられたとされ、江戸幕府は公儀橋として管理した。橋の東のたもとには、里程元標跡の碑が立っている。明治時代には西日本の道路の距離計算の起点となった。

 土佐堀通りに戻って東に歩くと天神橋の南端にでる。橋の上から上流を見ると、天満橋が見える。右手には、八軒家浜の船着き場がある。昔は京都から淀川を下って、ここから奈良や熊野へ向かったのである。さらに東に歩くと御祓筋(おはらいすじ)の東南角に「くまの街道」の碑が立っている。ここは、前に訪れた八軒家船着場跡の碑のある長田昆布店のひとつ西の通りになる。

 御祓筋を南に歩いて行ったが、片道1車線の道で、車も少なく落ち着いた雰囲気がある。3つの公園を過ぎると、長堀通りにでるところが坂になっている。その坂に一本の大きな木(樹齢670年のエンジュの木)があって、小さな祠があり榎木大明神という。小説「プリンセストヨトミ」に「みーさん(へび)」を祭った神社としてでてくるが、こんなに小さい神社とは知らなかった。すぐ下の坂道に直木三十五の文学碑がある。ここからさらに南にいくと熊野街道で空堀通りにでる。榎木大明神は熊野街道と奈良街道の分岐点であり、大きな木が目印になったのであろう。

 榎木大明神から東に向かう。長堀通りに平行に走る一つ北の細い道を歩いて行くと、谷町筋、上町筋を越えてビルの間に小さな神社がある。玉造稲荷神社の分社である東雲(しののめ)稲荷神社である。伊勢参りをする時に、玉造稲荷神社に参る代わりにお参りする人が多かったという。

    高麗橋 西詰   ↓
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    天神橋から天満橋を望む 橋のたもとに八軒家船着き場  ↓
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    土佐堀通りと御祓筋交差点の熊野街道の碑  ↓
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    榎木大明神   ↓
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    東雲稲荷神社  ↓
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by nori-126 | 2012-08-11 22:52 | 街道を歩く | Comments(0)

1万人の第九  旧大阪Dクラス懇親会

 8月3日(金)一万人の第九の旧大阪Dクラスの仲間が、居酒屋「M」で懇親会をするというので、遅刻したがかけつけた。総勢16名で久しぶりに楽しく歓談した。今年の合唱団応募の結果が判明して、希望のクラスに当選した人、第一希望には当選しなかった人、落選した人と様々である。

 テノールWJさんは大阪10クラスで御一緒する。アルトKMさん、MMさんは大阪Bクラスである。昨年そろって落選したYTさんと奥様のYNさん、お姉さんのYSさんは、大阪Cクラスに当選したとのことである。テノールのmidoさん、KTさん、サットンさんと奥様のノブコンさん、バスのOYさん、TMさん、アルトのSMさんも大阪Cクラスである。昨年落選したアルトのMMさんは今年は大阪4クラスとのこと。大阪Dで4回御一緒したベテランのOTさん夫妻は、昨年は別クラスだったが、今年は落選したとのことだった。1昨年御一緒したMU3さんは、昨年に続いて今年も落選だったという。YKさんとそのご両親は別々のクラスで、YKさんは大阪A、お父さんは大阪9、お母さんは大阪2ということだった。

 大阪Dクラスのレッスンが終わったら定番として訪れていた「M」に来ることもめったにないかと思うと淋しいものである。
by nori-126 | 2012-08-05 16:54 | 1万人の第九 | Comments(0)