感動を求めて、忙しすぎる「ひまつぶし」に追われている団塊世代の男の記録。
by nori-126
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バイオリンレッスン 第13回 付点音符 スラー

 10月28日(月)、バイオリンレッスンに行った。3週間ぶりで、前々回と前回が同じ課題だったので、同じところを5週間続けていることになる。それでもA,D,G弦の混合で、音階を弾くのはむずかしい。38ページの毎日の練習、39ページのアンダンテ、静かな森は一応合格となったが、40ページ68の音階は△で続けて練習をするようにということだった。

 新しく付点音符の練習に入った。付点二分音符と四分音符の組み合わせでは、付点二分音符を全弓で弾いて、四分音符はスピードを速めて全弓で弾き戻す。「いちとにーとさんと」でダウンで弾いて、「よんと」とアップで弾く。付点四分音符と八分音符の組み合わせでは、「いちとにー」をダウンで弾いて、「とー」をアップで弾く。全弓で弾くのが無理なら3分の2程度で弾く。音符の長さを正しく取るのが難しい。

 「荒城の月」に付点音符がでてきて、続く41ページのルーマニア舞曲、モデラートは以前にでてきた曲にスラーがついてアレンジされたものである。スラーで弦を変えるというのはタイミングが難しい。弓が半分に行く前に弦を変える準備をするのがこつである。

 演奏の時に注意されるのは、「右の小指を曲げる(力を入れすぎない)」「左の親指で握りしめない」「左の小指を立てる」「左の肘を体につけない」「G弦を弾く時に右手を伸ばす」と今までに注意されたことと同じである。どうしても力が入るのだと思う。力を抜くということは口でいうほど簡単ではない。

 自分の演奏している姿をビデオに撮ってみたら、姿勢が悪い。弓が弦に直角にならずにぶれている。ビデオに撮らないと気がつかないものである。弦を変える時に肘の高さを変えていないのが原因のひとつである。テキストにもそう書いてある。注意しながら慣れていくしかない。
by nori-126 | 2013-10-29 12:44 | バイオリンレッスン | Comments(0)

シネマ歌舞伎 野田版「鼠小僧」

 10月23日(水)、シネマ歌舞伎を見に行った。歌舞伎の舞台を映画館でみられるシネマ歌舞伎は、舞台を身近に感じられて面白い。今まで「連獅子・らくだ」「刺青奇偶」「野田版 研辰の討たれ」を見たことがある。

 野田版「鼠小僧」は平成21年12月に歌舞伎座で見たことがある。これは2回目の公演である。シネマ歌舞伎は平成15年8月の初演の時のものを収録している。勘三郎がまだ勘九郎と名乗っていて出演者も若い。

 初演と2回目で配役はほとんど変わっていない。シネマ歌舞伎では、勘三郎が劇中の鼠小僧役の稲葉幸蔵を二役で演じているが、2回目では、染五郎が演じていた。また、死人の役を初演は獅童が、2回目は亀蔵が演じている。

 勘三郎が大活躍で笑わせてくれる。特に一番笑いが多かったのは、愛人や不倫の話を聞いて、「ここは芸能界?」というところだった。福助や扇雀がふざけて笑いを取る他に、真面目な感じの七之助や孝太郎がコミカルに演じると余計におかしい。

 勘三郎が亡くなって、この作品や研辰の討たれは再演できるのだろうか?他の役者ではまねができないかも知れない。とするとシネマ歌舞伎という形でしか(それとDVD)見ることができないということになる。スクリーンの上で元気に笑わせてくれている勘三郎がいないということが、改めて淋しく感じる。
by nori-126 | 2013-10-23 18:41 | 歌舞伎 | Comments(0)

国宝「卯花墻」と桃山の名陶 三井記念美術館 東京

d0097373_20351295.jpg 10月20日(日)、歌舞伎座昼の部が終わった後に三井記念美術館に行った。日本橋から三越百貨店を越えたところにある。前に奈良の仏像展を見に行ったことがある。

 桃山時代後期に岐阜県の美濃地方で焼かれたのが志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部で、装飾的なやきものである。作られた期間はわずか20-30年の間と考えられている。

 特別展「卯花墻」と桃山の名陶
 -志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部ー
 
 2013年9月10日―11月24日
 三井記念美術館 東京日本橋

 展示室1
 志野、黄瀬戸、織部の名品が一つずつケースに入れられており、ぐるりと周りから見ることができる。

 展示室2
 国宝の志野茶碗「卯花墻」が展示されている。鉄釉で直線の模様が描かれた上に釉薬がかけられている。小さい穴がたくさんある乳白色が美しい。口には赤い発色がある。和製の茶碗で国宝に指定されているのは、他には、本阿弥光悦の白樂茶碗 銘『不二山』しかない。国宝の天目茶碗などは中国製であることを改めて気づかされた。

 展示室3
 茶室如庵が再現されている。織田信長の弟・織田有楽斎によって作られた茶室で、現在は名鉄犬山ホテル内に移築されて国宝に指定されている。堺の南宗寺には千利休の茶室があるが、比べてみると洗練されていて整った印象を受ける。

 展示室4 志野茶碗
 白土に長石釉が掛けられたもので、釉薬の下の文様や赤みが様々な濃度で見られる。鼠志野は掻き落としで文様をあらわすものである。直方体の茶碗はろくろで作ったあと型にはめて造るということで、同じものを何客も作る場合には、型をつかっている。

 展示室5 黄瀬戸・瀬戸黒
 黄瀬戸は明るい黄釉がかかっており、作りが薄手でかっちりしている。彫った文様にわずかに緑の釉を乗せている。瀬戸黒は真黒な瀬戸茶碗である。

 展示室6
 美濃の古い窯から出土した陶片を展示している。
 
 展示室7 織部
 特徴のある緑と白などの組み合わせに、幾何学的な文様が描かれている。文様の多様性が楽しめる。織部は落ち着いた感じがして好きなやきものである。

 陶芸を5年間習っていて、織部の緑の釉薬を使ってみたことがある。しかし、織部の文様までは、真似ができなかった。志野の白い釉薬に近いものも使ったが、細かいくぼみは高熱の釜でないとできないものだろう。

 駅への地下道を歩いていると、三越百貨店のところに、「百街道」の展示があった。全国街道交流会の主催だが、竹内街道であった百街道一歩さんは、交流会の理事をしておられる。お会いしていなければ通り過ぎただろうが、展示が身近に感じられた。
by nori-126 | 2013-10-21 18:36 | 美術展 | Comments(0)

芸術祭十月歌舞伎 昼の部 歌舞伎座

 10月20日(日)、歌舞伎座の昼の部を見た。通し狂言義経千本桜の前半になる。歌舞伎座のロビーで菊五郎夫人の富司純子さんが御贔屓さんにあいさつをされていた。私達の世代にとっては、任侠映画の緋牡丹博徒のお竜さんとして憧れのスターであった。席は15列29番で中央より少し右になる。

通し狂言 義経千本桜
序 幕 鳥居前


佐藤忠信実は源九郎狐  松 緑     武蔵坊弁慶   亀三郎
静御前            梅 枝      亀井六郎    歌 昇
片岡八郎           種之助     伊勢三郎    米 吉
駿河次郎           隼 人      笹目忠太   亀 寿
源義経            菊之助

 前にも見たことがある。義経が同行できないとして静御前を置き去りする。狐の忠信が静を助けて、義経から源九郎の名前を授かる。静御前の悲哀と義経の葛藤がみせどころである。

 菊之助は、立役として整った義経を演じた。今回の通しでは、主に女方を演じる時蔵、菊之助、梅枝が立役を演じるというのも面白かった。梅枝の静御前は可憐さと上品さがあった。静は白拍子だが、ここではお姫様という感じが相応しい。

 松緑の狐忠信に豪壮な感じがあり声がよく通る。立ち回りで型を見せて見得を切る。最後に飛び六方の引っ込みを見せた。亀三郎の弁慶はあまり大きさを感じられなかったが、声は大きくよく通る。

二幕目 渡海屋 大物浦
前に吉右衛門で2回、仁左衛門で1回みたことがある。
   
渡海屋銀平実は新中納言知盛  吉右衛門   女房お柳実は典侍の局  芝 雀
相模五郎                又五郎    入江丹蔵           錦之助
亀井六郎                歌 昇     片岡八郎           種之助
伊勢三郎                米 吉     駿河次郎           隼 人
武蔵坊弁慶               歌 六    源義経             梅 玉

 吉右衛門が渡海屋銀平として花道から入場すると、舞台がぱっと華やぐ。吉右衛門の相手を飲んでかかるような落ち着いた所作にぞくぞくとする。他の役者では出せない魅力がある。一転して、武将姿で登場すると力強い動作を見せる。

 又五郎と錦之助は前半は滑稽な役で、後には武士としての威厳ある態度を見せる。贅沢な配役である。芝雀は、前半で漁師の女房としてけなげなところがあり、典侍の局としては、高貴の者としての威厳があった。お姫様や娘役のイメージがあったが、芸の幅が広く、なんでもこなせるという印象を受けた。

 義経は幼い帝を守ると言うが、義経もまた追われる身である。亡びる運命の平家と同じ運命が待っているわけで、知盛を打った勝者ではない。その悲哀がこの物語を一段と悲劇性の強いものにしている。

三幕目 道行初音旅
 浅葱幕が落とされると、吉野の山に桜が満開である。広い歌舞伎座の舞台では、山に奥行きがある。そこに藤十郎が立っている。

佐藤忠信実は源九郎狐  菊五郎    逸見藤太   團 蔵
静御前             藤十郎

 藤十郎と菊五郎の踊りがゆったりとしていて、風情がある。二人がお雛様のように並ぶところが見せ場で「御両人」と声がかかったが、拍手する人は少なかった。

 團蔵が逸見藤太で、鳥居前の笹目忠太と同じような狂言回しである。花道でのやり取りは変えてあって、それなりに楽しめるようになっている。

 歌舞伎座の3階で「めでたい焼」を売っている。幕間に80匹限定で販売するので、早くに並ばないと売れ切れてしまう。中に紅白の餅が入っているので、めでたい焼という。並んで買って食べてみた。

 前から注目していた片岡千壽さんが、名題昇進を果たして、南座に続いて歌舞伎座での披露となった。ロビーに写真が展示されていた。昼の部では大物浦の官女、夜の部では川連法眼館の腰元として割台詞があった。

 片岡千壽 名題昇進披露  ↓
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 歌舞伎座名物 めでたい焼  ↓
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by nori-126 | 2013-10-21 18:20 | 歌舞伎 | Comments(0)

築地市場・波除神社・築地本願寺 東京都中央区築地

 10月20日(日)、前日に歌舞伎座の夜の部を見て、アパホテル南築地に泊まった。朝7時半頃に、近くを歩いてみることにした。築地市場は日曜日なので休みだった。市場の入り口のところに、波除神社がある。神社の境内に大きな獅子頭が二つ置いてある。海老塚や魚塚といった石柱があるのは、場所柄である。

 市場の周りを歩いてみると、海鮮料理の店がたくさんあって、営業中であり、多くの観光客でにぎわっていた。だし巻卵を店の前で作って売っている店もあった。寿司は前の夜に食べたので、レストランでモーニングサービスを食べた。

 ホテルに帰る途中に築地本願寺があった。有名人の葬儀がよく行われる。中村勘三郎の本葬が行われたのは、今年の1月だった。

 西本願寺派第12世宗主の准如上人が江戸時代初期(1617年)に創立した。准如は大阪城の地にあった石山本願寺を信長と和睦して退去した顕如の三男である。元は浅草にあったのが、明暦の大火で焼けて、新たに八丁堀の海を埋め立てて(築地の語源)、再建された。現在の建物は、関東大震災で被災したのちに、昭和初期に「インドの様式」で建てられた。お寺らしくない洋風の巨大な建物である。

 波除神社  ↓
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 築地本願寺  ↓
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by nori-126 | 2013-10-21 18:16 | 歴史散歩 | Comments(0)

芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 歌舞伎座

 10月19日(土)、歌舞伎座の夜の部を見に行った。歌舞伎座新開場杮葺落公演は、4月、5月と見に行ったが、7月からは花形歌舞伎で若手中心の公演が行われていた。10月、11月からまた幹部役者が出演する豪華な配役となった。

 今月は義経千本桜の通し公演で、「木の実」「小金吾討死」以外は見たことがあるが、通し公演を見るのは初めてである。席は14列34番とやや花道が遠い。

通し狂言 義経千本桜
四幕目 木の実 小金吾討死
文楽では見たことがある。この後の有名な「すし屋」を理解するためにも続けて演じられるとわかりやすい。

  いがみの権太   仁左衛門     若葉の内侍    東 蔵
  主馬小金吾    梅 枝        猪熊大之進   市 蔵
  鮓屋弥左衛門   歌 六       小せん       秀太郎

 平維盛の行方を探す妻の若葉の内侍と嫡子、家臣の小金吾が茶屋で休むところに、いがみの権太が現われて、親切そうにするが、わざと荷物を取り違えて、金を巻き上げる悪党ぶりをみせる。つづいて、小金吾が大勢の捕り手と立ち回りの末に討死にする。その首を弥左衛門が利用しようと次の段に続いていく。

 仁左衛門が若々しい悪党を演じて、こういう役も見事にみせる。すごんでみせる悪党ぶりと、息子や妻にでれでれとする家族思いのところの対比が面白い。いずれも後の段への伏線になっているので、すし屋の段を知っていると余計に楽しめる。

 梅枝が珍しく立役で、立ち回りまでする本格的な立役は初めてらしい。女形の役者が立役をすると、本当に品のある若武者ぶりになる。捕り手が縄をなげて結び目に乗るという形が美しい。

 秀太郎の小せんは、悪党の夫をたしなめながら、一方では甘い妻を演じてぴったりである。東蔵の若い奥方に品があり、歌六の弥左衛門に決意を秘めた力強さがあった。

五幕目 すし屋
 すし屋は6年前に菊五郎の権太で見たことがある。

 いがみの権太         仁左衛門      小せん       秀太郎
 弥助実は三位中将維盛   時 蔵        お里         孝太郎
 お米               竹三郎        鮓屋弥左衛門   歌 六
 若葉の内侍          東 蔵        梶原平三景時    我 當

 権太は、身替りに妻子を捕えさせておきながら、それを隠して心で泣いている。本物の松明が燃やされて、涙を隠すのに、煙たいなあという。この辺りの演じ方が見事である。

 時蔵ははじめは町人らしい腰の低さ、途中からは武士らしい威厳を見せる。孝太郎の町娘がよく似合う。少し滑稽な3枚目ぶりが、無理がなくてよい。竹三郎を見るのは久しぶりか?目立つ役ではないが、安心してみていられる。我當の動きはぎこちないが、貫禄は見せる。片岡3兄弟の競演である。

 仁左衛門は、右肩の手術をするということで、11月、12月の休演が決まっている。右肩はほとんど上がらないようで、右手は肘を曲げるだけである。左手だけで、鉢巻をはずしたり、子を背負ったりと知っていると痛々しい。1日も早く元気に復帰して欲しい。藤十郎が高齢なだけに、仁左衛門なしでは上方での歌舞伎公演は難しいことになる。1月の松竹座公演が玉三郎の舞踊公演になったのは、仁左衛門の休演のせいか?

大 詰 川連法眼館 
 前に菊五郎と猿之助で見たことがある。
 
 佐藤忠信/忠信実は源九郎狐  菊五郎    静御前    時 蔵
 駿河次郎                團 蔵    亀井六郎   権十郎
 飛鳥                   秀 調    川連法眼   彦三郎
 源義経                  梅 玉

 忠信として登場する菊五郎は、立派な侍としての威厳がある。源九郎狐として登場する時は、別人のようである。その対比がおもしろい。動作や言葉をどの程度変えるかは役者によって違うのだろうが、極端に狐口調(?)というわけではなかった。動き回る動作は年齢のせいもあって、少しぎこちないのは仕方がない。

 時蔵の静御前に品がある。前の段で立役だったので少し妙な感じがしたが。梅王の義経に威厳があった。

 立ち回りで、灰色の頭巾をかぶった3人が太鼓の音に合わせて踊る。狐に操られているということだろうが、衣装といい、踊りといい、他では見られない異様な感じを受ける。

 終演後に歌舞伎座の正面の写真を撮った。雨の中にライトに照らされた歌舞伎座を見て、先代とそっくりに作られたことを改めて喜ばしく感じた。4月、5月にも行った近くの「鮨・江戸時代」で食事を取った。4月にもお会いした大阪からこられた同業のUさんと再会した。歌舞伎や山登りが共通の趣味で話が盛り上がった。同じく同業のOさんに初めてお会いしたが、ミュージカルをよく見ておられて、「レ・ミゼラブル」などのことをお聞きした。

  終演後の歌舞伎座  ↓
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by nori-126 | 2013-10-21 18:04 | 歌舞伎 | Comments(0)

東高野街道 第2回 郡津駅~忍ヶ丘駅

 10月13日(日)東高野街道の2回目を歩いた。

東高野街道 第2回 郡津駅~忍ヶ丘駅
郡津駅(11:35 )-明遍寺-出鼻橋-郡津駅東(12:05)-星田駅(13:35)-
打上の弘法井戸-東寝屋川駅(14:25)-忍ヶ丘駅-忍陵神社-忍ヶ丘駅(15:25)   歩数 18763歩

 前回のゴールである京阪交野線郡津駅に下りて、近くの明遍寺に行った。由緒あるお寺らしいが、小さいお堂があるだけである。前回は出鼻橋から古い道に入るところを見逃したので、その道を出鼻橋まで逆に歩いた。古い家並みがわずかだが残っている。出鼻橋まで歩いて同じ道をまた戻った。

 郡津駅の東を通って天野川を越えて静かな住宅街の道を歩いた。やがて大きな自動車道にでた。ここから道を間違えて時間がかかった。案内地図には本尊掛松遺跡という記載があるが、みつからなかった。帰宅後地図で調べると、車道に平行する細い道に入らなくてはならかった。

 自動車道を歩いて、うどん屋で昼食を取った。田んぼの中の道を歩いてJR片町線星田駅についた。さらに南に歩いて自動車道を歩く。途中で打上の弘法井戸があるというので、脇道に入ったが、みつけるのに時間がかかった。すぐ近くに案内板があるが、道を示す案内は何もない。この辺りの市にとって、東高野街道は観光としては何の魅力もないのであろう。

 東寝屋川駅を越えて住宅街を歩いたが、道を間違えてどこを歩いているかわからなくなった。明和という交差点にでて、ここで人に尋ねて忍ヶ丘駅への道を聞いた。

 忍ヶ丘駅から西の方向へ歩いて、忍陵神社にお参りした。式内社で少し小高い丘にある。境内に忍岡古墳から出土した石棺が納められていた。忍ヶ丘駅に戻って、この日はここまでとした。短い距離だったが、道がわからずに時間がかかり、疲れてしまった。また、街道らしい風景はあまり味わえなかった。

  明遍寺   ↓
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  郡津の町並み  ↓
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  打上の弘法井戸  ↓
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  忍陵神社  ↓
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by nori-126 | 2013-10-13 18:30 | 街道を歩く | Comments(0)

竹内街道 第4回 上ノ太子駅~叡福寺~風鼻橋 後半

 10月12日(土)竹内街道第4回の後半である。

 叡福寺から三叉路まで戻って、六枚橋を渡り、静かな街並みを歩いて行く。ここからは坂道になっていて、いよいよ竹内峠への登りにかかるのだと実感する。大きな地蔵堂があった。孝徳天皇陵があったが、上に登って行かなくてはならず、時間がないのでパスした。すぐに竹内街道歴史資料館があるが、なんとか入館時間ぎりぎりで入ることができた。

 展示は常設展示として、竹内街道の果たしてきた歴史的役割が説明されている。サヌカイトという石器に使う硬い石が産出したこと、やわらかい凝灰岩が産出したこと、ミカンなどが奈良に運ばれる道でもあった。

 三叉路に説明のあった角屋の木馬が二つ並んでいた。旅人がわかるように宿屋の目印においたものだという。竹内街道を通って、奈良に嫁入りした堺の豪商の娘の乗った籠、三十三所巡りの御利益があると、僧が背負って家々を巡ったミニチュアの観音入りの背負い子などがあった。

 特別展示は、竹内街道周辺の古墳などの遺跡の説明で、至るところに遺跡があるという感じである。出土された土器などが展示されていた。展示は多くはないが、しっかりとした企画の元に行われており、きちんとした監修がされている。出版物も多く、「竹内街道の道しるべ」という本を買った。

 資料館から国道にでたところに道の駅近つ飛鳥の里・太子がある。ここで休憩する。3人の男性が、上ノ太子まで歩くと話をされていたので、声をかけて堺の古墳の話などをしていた。大阪検定2級を持っていますと話すと、3人の方全員が江戸文化歴史検定1級と京都・観光文化検定1級を持っておられるとのことで驚いた。検定で知り合って、関東から竹内街道を歩くために来られたというので、とても私の知識の及ぶところではない。

 中の一人「百街道一歩」さんはHPで全国の50街道以上を歩かれた記録を公開されている。

 話をしながら、竹内街道を上ノ太子の方へ戻ったが、途中で旧山本家住宅を通った。行く時には見逃していたのである。このまま、上ノ太子まで戻ると遅くなるので、別れて一人太子温泉まで歩いた。温泉に入って、タクシーを呼び、古市まで戻った。古市はお祭りでだんじりが何台も練り歩き人出が多かった。 

  古い家並み  ↓
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  竹内街道歴史資料館  ↓
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  飛鳥戸神社付近のセグロセキレイ  ↓
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by nori-126 | 2013-10-13 08:55 | 街道を歩く | Comments(2)

竹内街道 第4回 上ノ太子駅~叡福寺~風鼻橋 前半

 10月12日(土)、昼から竹内街道を歩いた。竹内街道はこの秋開設1400年を祝っていろいろと催しものが企画されている。

竹内街道  第4回 上ノ太子駅~叡福寺~風鼻橋
近鉄上ノ太子駅(14:25)-飛鳥戸神社-上ノ太子駅(15:00)-角屋跡(15:35)-叡福寺(15:50)-竹内街道歴史資料館(16:30)-道の駅・近つ飛鳥の里・太子・風鼻橋(17:00)-太子温泉(17:55)(タクシー)古市駅(19:10)  歩数 13000歩

 前回行かずじまいだった飛鳥戸神社に行こうと、上ノ太子駅から少し戻って、坂を登ると、神社の鳥居がみえてきた。さらに上がったところに、小さい神社があった。明日のお祭りの準備をしていた地元の人が神社の説明をしてくれた。氏神様が由緒ある式内社であるというのは誇りであろう。

 神社の前の田にセグロセキレイがいた。きれいな写真が撮れた。

 さらに上にあがると、観音塚古墳があるが、古墳らしい形には見えない。神社の東の道を通ると、前回見た河内ワインの会社の前を通り、上ノ太子駅の東に下りてくる。ここから自動車道の歩道を歩いて行く。すぐに飛鳥川を渡る橋があり、ここで羽曳野市を越えて太子町に入る。

 太子町に入ると、竹内街道ののぼりや案内板があって、道が茶色い砂利を固めて舗装されている。竹内街道を売りだそうという町の姿勢がうかがわれる。自動車道から細い住宅街の道に入ると、ところどころ、古い家並みが残っている。この辺りからはしばらく歩く左手に二上山が見える。かなり近づいてきたと感じる。

 三叉路があって、竹内街道と太子道が交差するところで、宿場町があったという。大きな道標と、かってあった角屋の説明板がある。太子道とは、石川の臥龍橋から南に歩いて、叡福寺にお参りして竹内街道に戻る道である。角屋は河内名所図会にも紹介されている名の知れた宿屋で、前に置かれていた木馬が竹内街道歴史資料館に展示されている。

 太子道を叡福寺まで歩いた。この道筋にも古い家が残っている。叡福寺は聖徳太子を祀る寺で、上ノ太子ともいわれる。竹内街道筋には中の太子の野中寺もある。境内は広くて、大きな本堂の他、宝塔などの伽藍も多い。聖徳太子御廟は、天皇陵と同じく宮内庁の管理になっていて、同じような注意の札が立っている。

  飛鳥戸神社の鳥居  ↓
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  飛鳥戸神社  ↓
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  二上山を望む  ↓
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  竹内街道と太子道の交叉  ↓
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  叡福寺本堂と宝塔  ↓
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  聖徳太子御廟  ↓
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by nori-126 | 2013-10-13 08:51 | 街道を歩く | Comments(0)

プーシキン美術館展 神戸市立博物館

d0097373_8221539.jpg 10月9日(水)昼からプーシキン美術館展に行った。JR三ノ宮駅からサンチカタウンを歩いた。神戸に住んでいたのは40年くらい前になるが、当時と雰囲気があまり変わっていない。見る人は多くなくてゆっくりと見ることができた。

 プーシキン美術館展 フランス絵画300年
 2013.9.28-12.8
 神戸市立博物館

 大きな美術館からの出品ではよくある、絵画の歴史を網羅するという形で、17世紀から20世紀のフランスの絵画が並べられている。印象派が目玉になっていて、有名な画家の絵をみることができるが、何となく物足りない感じもする。

 フランソワ・ブーシェ「ユピテルとカリスト」1744年は、明るく浮き上がる精密な人物像が、陶器の艶のように見えて幻想的である。
 アングル「聖杯の前の聖母」1841年は新古典派の画家らしく、ラファエロの聖母を思い起こさせる。
 ルノワール「ジャンヌ・サマリーの肖像」1877年は目玉作品ということだが、あまり大きな絵ではない。顔の描き方があまり緻密でなく、ほんわかとしたものを感じなかったが、背景がピンクなので可愛い感じがする。
 
 絵画史を俯瞰する美術展は、どうしてもまとまりがない。目玉となる作品の印象が、全体の印象を決めてしまうことになる。いくつかの感動を与えてくれる絵がみられた。

 解説として、フランス絵画の300年の年表やプーシキン美術館の歴史、収集家の説明が展示されていたが、収集家に興味を持つ人はそういないと思うが。

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by nori-126 | 2013-10-11 19:18 | 美術展 | Comments(0)